郎作は少《わか》い時、山本北山《やまもとほくざん》の奚疑塾《けいぎじゅく》にいた。大窪天民《おおくぼてんみん》は同窓であったので後《のち》に※[#「二点しんにょう+台」、第3水準1−92−53]《いた》るまで親しく交った。上戸《じょうご》の天民は小さい徳利を蔵《かく》して持っていて酒を飲んだ。北山が塾を見廻ってそれを見附けて、徳利でも小さいのを愛すると、その人物が小さくおもわれるといった。天民がこれを聞いて大樽《おおだる》を塾に持って来たことがあるそうである。下戸《げこ》の五郎作は定めて傍《はた》から見て笑っていたことであろう。
 五郎作はまた博渉家《はくしょうか》の山崎美成《やまざきよししげ》や、画家の喜多可庵《きたかあん》と往来していた。中にも抽斎より僅《わずか》に四つ上の山崎は、五郎作を先輩として、疑《うたがい》を質《ただ》すことにしていた。五郎作も珍奇の物は山崎の許《もと》へ持って往って見せた。
 文政六年四月二十九日の事である。まだ下谷《したや》長者町《ちょうじゃまち》で薬を売っていた山崎の家へ、五郎作はわざわざ八百屋《やおや》お七《しち》のふくさというものを見せに往った。ふ
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