のいしにかゝらぬぞなき。」わたくしは余り狂歌を喜ばぬから、解事者を以て自らおるわけではないが、これを蜀山《しょくさん》らの作に比するに、遜色《そんしょく》あるを見ない。※[#「竹かんむり/均」、第3水準1−15−73]庭《いんてい》は五郎作に文筆の才がないと思ったらしく、歌など少しは詠みしかど、文を書くには漢文を読むようなる仮名書して終れりといっているが、此《かく》の如きは決して公論ではない。※[#「竹かんむり/均」、第3水準1−15−73]庭は素《もと》漫罵《まんば》の癖《へき》がある。五郎作と同年に歿した喜多静廬《きたせいろ》を評して、性質風流なく、祭礼などの繁華なるを見ることを好めりといっている。風流をどんな事と心得ていたか。わたくしは強いて静廬を回護するに意があるのではないが、これを読んで、トルストイの芸術論に詩的という語の悪《あく》解釈を挙げて、口を極めて嘲罵《ちょうば》しているのを想い起した。わたくしの敬愛する所の抽斎は、角兵衛獅子《かくべえじし》を観《み》ることを好んで、奈何《いか》なる用事をも擱《さしお》いて玄関へ見に出たそうである。これが風流である。詩的である。
五
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