に、姪《おい》の家の板の間《ま》から墜《お》ちて怪我《けが》をして、当時流行した接骨家|元大坂町《もとおおさかちょう》の名倉弥次兵衛《なぐらやじべえ》に診察してもらうと、名倉がこういったそうである。お前さんは下戸《げこ》で、戒行《かいぎょう》が堅固で、気が強い、それでこれほどの怪我をしたのに、目を廻《まわ》さずに済んだ。この三つが一つ闕《か》けていたら、目を廻しただろう。目を廻したのだと、療治に二百日|余《あまり》掛かるが、これは百五、六十日でなおるだろうといったそうである。戒行とは剃髪《ていはつ》した後《のち》だからいったものと見える。怪我は両臂《りょうひじ》を傷めたので骨には障《さわ》らなかったが痛《いたみ》が久しく息《や》まなかった。五郎作は十二月の末まで名倉へ通ったが、臂の※[#「やまいだれ+(鼾−自−干)」、第4水準2−81−55]《しびれ》だけは跡に貽《のこ》った。五十九歳の時の事である。
 五郎作は文章を善くした。繊細の事を叙するに簡浄の筆を以てした。技倆《ぎりょう》の上から言えば、必ずしも馬琴、京伝に譲らなかった。ただ小説を書かなかったので、世の人に知られぬのである。こ
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