る十一年前である。これが初代劇神仙である。
五郎作は歿年から推算するに、明和六年の生《うまれ》で、抽斎の生れた文化二年には三十七歳になっていた。抽斎から見ての長幼の関係は、師迷庵や文晁におけると大差はない。嘉永元年八月二十九日に、八十歳で歿したのだから、抽斎がこの二世劇神仙の後《のち》を襲《つ》いで三世劇神仙となったのは、四十四歳の時である。初め五郎作は抽斎の父|允成《ただしげ》と親しく交《まじわ》っていたが、允成は五郎作に先《さきだ》つこと十一年にして歿した。
五郎作は独り劇を看《み》ることを好んだばかりではなく、舞台のために製作をしたこともある。四世|彦三郎《ひこさぶろう》を贔屓《ひいき》にして、所作事《しょさごと》を書いて遣ったと、自分でいっている。レシタションが上手《じょうず》であったことは、同情のない喜多村※[#「竹かんむり/均」、第3水準1−89−63]庭《きたむらいんてい》が、台帳を読むのが寿阿弥の唯一の長技だといったのを見ても察せられる。
五郎作は奇行はあったが、生得《しょうとく》酒を嗜《たし》まず、常に養性《ようじょう》に意を用いていた。文政十年七月の末《すえ》
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