高級芸術として尊重しなくてはならなくなる。わたくしが抽斎の心胸を開発して、劇の趣味を解するに至らしめた人々に敬意を表して、これを学者、医者、画家の次に数えるのは、好む所に阿《おもね》るのではない。

   その二十二

 真志屋五郎作は神田|新石町《しんこくちょう》の菓子商であった。水戸家《みとけ》の賄方《まかないかた》を勤めた家で、或《ある》時代から故《ゆえ》あって世禄《せいろく》三百俵を給せられていた。巷説《こうせつ》には水戸侯と血縁があるなどといったそうであるが、どうしてそんな説が流布《るふ》せられたものか、今考えることが出来ない。わたくしはただ風采《ふうさい》が好《よ》かったということを知っているのみである。保さんの母|五百《いお》の話に、五郎作は苦味走《にがみばし》った好《よ》い男であったということであった。菓子商、用達《ようたし》の外、この人は幕府の連歌師《れんがし》の執筆をも勤めていた。
 五郎作は実家が江間氏《えまうじ》で、一時|長島《ながしま》氏を冒《おか》し、真志屋の西村氏を襲《つ》ぐに至った。名は秋邦《しゅうほう》、字《あざな》は得入《とくにゅう》、空華《くうげ》
前へ 次へ
全446ページ中83ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング