で歿した人である。抽斎の生れた文化二年には八歳だから、郷里にあって、父|恭斎《きょうさい》に句読《くとう》を授けられていたのである。
即ち学者の先輩は艮斎が十六、成斎が十《とお》、况斎が九つ、漁村が八つになった時、抽斎は生れたことになる。
次に医者の年長者には先ず多紀《たき》の本家、末家《ばつけ》を数える。本家では桂山《けいざん》、名は元|簡《かん》、字は廉夫《れんふ》が、抽斎の生れた文化二年には五十一歳、その子|柳※[#「さんずい+片」、第3水準1−86−57]《りゅうはん》、名は胤《いん》、字は奕禧《えきき》が十七歳、末家では※[#「くさかんむり/頤のへん」、第4水準2−86−13]庭《さいてい》、名は元堅《げんけん》、字は亦柔《えきじゅう》が十一歳になっていた。桂山は文化七年十二月二日に五十六歳で歿し、柳※[#「さんずい+片」、第3水準1−86−57]は文政十年六月三日に三十九歳で歿し、※[#「くさかんむり/頤のへん」、第4水準2−86−13]庭は安政四年二月十四日に六十三歳で歿したのである。
この中《うち》抽斎の最も親しくなったのは※[#「くさかんむり/頤のへん」、第4水
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