問い合せて見ようといった。
 わたくしの再度の向島探討は大正四年の暮であったので、そのうちに五年の初《はじめ》になった。墨汁師の新年の書信に問合せの結果が記《しる》してあったが、それは頗《すこぶ》る覚束《おぼつか》ない口吻《こうふん》であった。嶺松寺の廃せられた時、その事に与《あずか》った寺々に問うたが、池田氏の墓には檀家がなかったらしい。当時無縁の墓を遷した所は、染井《そめい》共同墓地であった。独立の表石というものは誰《たれ》も知らないというのである。
 これでは捜索の前途には、殆ど毫《すこ》しの光明をも認めることが出来ない。しかしわたくしは念晴《ねんばら》しのために、染井へ尋ねに往《い》った。そして墓地の世話をしているという家を訪うた。
 墓にまいる人に樒《しきみ》や綫香《せんこう》を売り、また足を休めさせて茶をも飲ませる家で、三十ばかりの怜悧《かしこ》そうなお上《かみ》さんがいた。わたくしはこの女の口から絶望の答を聞いた。共同墓地と名にはいうが、その地面には井然《せいぜん》たる区画があって、毎区に所有主がある。それが墓の檀家である。そして現在の檀家の中《うち》には池田という家はな
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