町、小梅町、須崎町の間を徘徊《はいかい》して捜索したが、嶺松寺という寺はない。わたくしは絶望して踵《くびす》を旋《めぐら》したが、道のついでなので、須崎町|弘福寺《こうふくじ》にある先考の墓に詣でた。さて住職|奥田墨汁《おくだぼくじゅう》師を訪《とぶら》って久闊《きゅうかつ》を叙《じょ》した。対談の間に、わたくしが嶺松寺と池田氏の墓との事を語ると、墨汁師は意外にも両《ふた》つながらこれを知っていた。
 墨汁師はいった。嶺松寺は常泉寺の近傍にあった。その畛域《しんいき》内に池田氏の墓が数基並んで立っていたことを記憶している。墓には多く誌銘が刻してあった。然るに近い頃に嶺松寺は廃寺になったというのである。わたくしはこれを聞いて、先ず池田氏の墓を目撃した人を二人《ふたり》まで獲《え》たのを喜んだ。即ち保さんと墨汁師とである。
「廃寺になるときは、墓はどうなるものですか」と、わたくしは問うた。
「墓は檀家がそれぞれ引き取って、外の寺へ持って行きます。」
「檀家がなかったらどうなりますか。」
「無縁の墓は共同墓地へ遷《うつ》す例になっています。」
「すると池田家の墓は共同墓地へ遣られたかも知れま
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