うばこ》六個経本|入《いり》男女名取中、十三年忌には袈裟《けさ》一領家元、天蓋《てんがい》一箇男女名取中の寄附があった。これらの文字は、人があるいはわたくしの何故《なにゆえ》にこれを条記して煩を厭《いと》わざるかを怪《あやし》むであろう。しかしわたくしは勝久の手記を閲《けみ》して、いわゆる芸人の師に事《つか》うることの厚きに驚いた。そしてこの善行を埋没するに忍びなかった。もしわたくしが虚礼に瞞過《まんか》せられたという人があったら、わたくしは敢《あえ》て問いたい。そういう人は果して一切の善行の動機を看破することを得るだろうかと。

   その百十九

 勝久の人に長唄を教うること、今に※[#「二点しんにょう+台」、第3水準1−92−53]《いた》るまで四十四年である。この間に勝久は名取の弟子|僅《わずか》に七人を得ている。明治三十二年には倉田《くらた》ふでが杵屋|勝久羅《かつくら》となった。三十四年には遠藤さとが杵屋|勝久美《かつくみ》となった。四十三年には福原さくが杵屋|勝久女《かつくめ》となり、山口はるが杵屋|勝久利《かつくり》となった。大正二年には加藤たつが杵屋|勝久満《かつくま
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