といわれないようになさいよ」と忠告すると、勝久は急所を刺されたように感じたそうである。
しかし勝久の業は予期したよりも繁昌した。いまだ幾ばくもあらぬに、弟子の数《かず》は八十人を踰《こ》えた。それに上流の家々に招かれることが漸《ようや》く多く、後には殆《ほとん》ど毎日のように、昼の稽古を終ってから、諸方の邸へ車を馳《は》せることになった。
最も数《しばしば》往ったのはほど近い藤堂家である。この邸では家族の人々の誕生日、その外種々の祝日《いわいび》に、必ず勝久を呼ぶことになっている。
藤堂家に次いでは、細川、津軽、稲葉、前田、伊達、牧野、小笠原、黒田、本多の諸家で、勝久は贔屓《ひいき》になっている。
その百十五
細川家に勝久の招かれたのは、相弟子《あいでし》勝秀《かつひで》が紹介したのである。勝秀はかつて肥後国熊本までもこの家の人々に伴われて往ったことがあるそうである。勝久の初《はじめ》て招かれたのは今戸《いまど》の別邸で、当日は立三味線《たてさみせん》が勝秀、外に脇二人《わきににん》、立唄《たてうた》が勝久、外に脇唄二人、その他|鳴物《なりもの》連中で、悉《ことごと》
前へ
次へ
全446ページ中427ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング