《しもだ》に淹留《えんりゅう》し、十二月十六日にようよう家に帰った。
机上にはまた森氏の書信があった。しかしこれは枳園の手書《しゅしょ》ではなくて、その訃音《ふいん》であった。
枳園は十二月六日に水谷町の家に歿した。年は七十九であった。枳園の終焉《しゅうえん》に当って、伊沢|徳《めぐむ》さんは枕辺《ちんぺん》に侍していたそうである。印刷局は前年の功労を忘れず、葬送の途次|柩《ひつぎ》を官衙《かんが》の前に駐《とど》めしめ、局員皆|出《い》でて礼拝した。枳園は音羽《おとわ》洞雲寺《どううんじ》の先塋《せんえい》に葬られたが、この寺は大正二年八月に巣鴨村《すがもむら》池袋《いけぶくろ》丸山《まるやま》千六百五番地に徙《うつ》された。池袋停車場の西十町ばかりで、府立師範学校の西北、祥雲寺《しょううんじ》の隣である。わたくしは洞雲寺の移転地を尋ねて得ず、これを大槻文彦《おおつきふみひこ》さんに問うて始《はじめ》て知った。この寺には枳園六世の祖からの墓が並んでいる。わたくしの参詣した時には、おこうさんと大槻文彦さんとの名を記《き》した新しい卒堵婆《そとば》が立ててあった。
枳園の後《のち》
前へ
次へ
全446ページ中406ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング