はその子養真の長女おこうさんが襲《つ》いだ。おこうさんは女流画家で、浅草|永住町《ながすみちょう》の上田|政次郎《まさじろう》という人の許《もと》に現存している。おこうさんの妹おりゅうさんはかつて剞※[#「厥+りっとう」、第4水準2−3−30]氏《きけつし》某に嫁し、後《のち》未亡人となって、浅草|聖天《しょうでん》横町の基督《クリスト》教会堂のコンシェルジェになっていた。基督教徒である。
保は枳園の訃《ふ》を得た後《のち》、病のために新聞記者の業を罷め、遠江国|周智郡《すちごおり》犬居村《いぬいむら》百四十九番地に転籍した。保は病のために時々《じじ》卒倒することがあったので、松山|棟庵《とうあん》が勧めて都会の地を去らしめたのである。
その百九
抽斎歿後の第二十八年は明治十九年である。保は静岡|安西《あんざい》一丁目|南裏町《みなみうらまち》十五番地に移り住んだ。私立静岡英学校の教頭になったからである。校主は藤波甚助《ふじなみじんすけ》という人で、雇《やとい》外国人にはカッシデエ夫妻、カッキング夫人等がいた。当時の生徒で、今名を知られているものは山路愛山《やまじあいざん
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