しゅういん》になった。これまではその社とただ寄稿者としての連繋のみを有していたのであった。当時の社長は沼間守一《ぬましゅいち》、主筆は島田三郎、会計係は波多野伝三郎《はたのでんざぶろう》という顔触《かおぶれ》で、編輯員には肥塚龍《こえづかりゅう》、青木|匡《ただす》、丸山|名政《めいせい》、荒井泰治《あらいたいじ》の人々がいた。また矢野次郎、角田真平《つのだしんぺい》、高梨哲四郎《たかなしてつしろう》、大岡|育造《いくぞう》の人々は社友であった。次で八月に保は攻玉社の教員を罷《や》めた。九月一日には家を芝|桜川町《さくらがわちょう》十八番地に移した。
 脩はこの年十二月に工部技手を罷めた。
 水木《みき》はこの年山内氏を冒して芝|新銭座町《しんせんざちょう》に一戸を構えた。
 抽斎歿後の第二十七年は明治十八年である。保は新聞社の種々の用務を弁ずるために、しばしば旅行した。十月十日に旅から帰って見ると、森|枳園《きえん》の五日に寄せた書が机上にあった。面談したい事があるが、何時《いつ》往ったら逢《あ》われようかというのである。保は十一日の朝枳園を訪うた。枳園は当時京橋区|水谷町《みずたに
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