て畳む。保が傍《そば》に寄るごとに、左手で保の胸を撫《な》でさえした。
 保は更に印東玄得《いんどうげんとく》をも呼んで見せた。しかし所見は松山と同じで、この上手当のしようはないといった。
 五百は遂に十四日の午前七時に絶息した。
 五百の晩年の生活は日々《にちにち》印刷したように同じであった。祁寒《きかん》の時を除く外は、朝五時に起きて掃除をし、手水《ちょうず》を使い、仏壇を拝し、六時に朝食をする。次で新聞を読み、暫く読書する。それから午餐《ごさん》の支度をして、正午に午餐する。午後には裁縫し、四時に至って女中を連れて家を出る。散歩がてら買物をするのである。魚菜をも大抵この時買う。夕餉《ゆうげ》は七時である。これを終れば、日記を附ける。次でまた読書する。倦《う》めば保を呼んで棋《ご》を囲みなどすることもある。寝《しん》に就くのは十時である。
 隔日に入浴し、毎月曜日に髪を洗った。寺には毎月一度|詣《もう》で、親と夫との忌日《きにち》には別に詣でた。会計は抽斎の世にあった時から自らこれに当っていて、死に※[#「二点しんにょう+台」、第3水準1−92−53]《いた》るまで廃せなかった。そ
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