く、小なるものは成るに易《やす》い。我らも甲らに似せて穴を掘り、一の小政社を結んで、東京の諸先輩に先んじて式を挙げようではないか」といった。この政社の雛形《ひながた》は進取社と名づけられて、保は社長、準平は副社長であった。

   その百三

 抽斎歿後の第二十四年は明治十五年である。一月《いちげつ》二日に保の友武田準平が刺客《せきかく》に殺された。準平の家には母と妻と女《むすめ》一人《ひとり》とがいた。女の壻|秀三《ひでぞう》は東京帝国大学医科大学の別科生になっていて、家にいなかった。常は諸生がおり、僕がおったが、皆新年に暇《いとま》を乞《こ》うて帰った。この日家人が寝《しん》に就《つ》いた後《のち》、浴室から火が起った。唯《ただ》一人暇を取らずにいた女中が驚き醒《さ》めて、烟《けぶり》の厨《くりや》を罩《こ》むるを見、引窓《ひきまど》を開きつつ人を呼んだ。浴室は庖厨《ほうちゅう》の外に接していたのである。準平は女中の声を聞いて、「なんだ、なんだ」といいつつ、手に行燈《あんどう》を提《さ》げて厨に出て来た。この時一人の引廻《ひきまわし》がっぱを被《き》た男が暗中より起《た》って、準平
前へ 次へ
全446ページ中388ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング