直ちに録呈した。いわゆる伝記は今存ずる所の『津軽藩旧記伝類』ではあるまいか。わたくしはいまだその書を見ざるが故に、抽斎の行状が采択《さいたく》せられしや否やを審《つまびらか》にしない。
 保の奉職している浜松変則中学枚はこの年二月二十三日に中学校と改称せられた。
 山田脩はこの年九月二日に、母五百に招致せられて浜松に来た。これより先五百は脩の喘息《ぜんそく》を気遣《きづか》っていたが、脩が矢島|優《ゆたか》と共に『魁《さきがけ》新聞』の記者となるに及んで、その保に寄する書に卯飲《ぼういん》の語あるを見て、大いにその健康を害せんを惧《おそ》れ、急に命じて浜松に来《きた》らしめた。しかし五百は独り脩の身体《しんたい》のためにのみ憂えたのではない。その新聞記者の悪徳に化せられんことをも慮《おもんばか》ったのである。
 この年四月に岡本況斎が八十二歳で歿した。
 抽斎歿後の第二十一年は明治十二年である。十月十五日保は学問修行のため職を辞し、二十八日に聴許《ていきょ》せられた。これは慶応義塾に入《い》って英語を学ばんがためである。
 これより先保は深く英語を窮めんと欲して、いまだその志を遂げずに
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