静岡師範学校浜松支部は変則中学校と改称せられた。
兼松石居《かねまつせききょ》はこの年十二月十二日に歿した。年六十八である。絶筆の五絶と和歌とがある。「今日吾知免《こんにちわれめんをしる》。亦将騎鶴遊《またつるにのりてあそばんとす》。上帝賚殊命《じょうていしゅめいをたまう》。使爾永相休《なんじをしてながくあいやすましめんと》。」「年浪《としなみ》のたち騒ぎつる世をうみの岸を離れて舟|漕《こ》ぎ出《い》でむ。」石居は酒井《さかい》石見守《いわみのかみ》忠方《ただみち》の家来|屋代《やしろ》某の女《じょ》を娶《めと》って、三子二女を生ませた。長子|艮《こん》、字《あざな》は止所《ししょ》が家を嗣いだ。号は厚朴軒《こうぼくけん》である。艮の子|成器《せいき》は陸軍砲兵大尉である。成器さんは下総国|市川町《いちかわまち》に住んでいて、厚朴軒さんもその家にいる。
その百
抽斎歿後の第二十年は明治十一年である。一月《いちげつ》二十五日津軽|承昭《つぐてる》は藩士の伝記を編輯《へんしゅう》せしめんがために、下沢保躬《しもさわやすみ》をして渋江氏について抽斎の行状を徴《め》さしめた。保は
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