の後を襲いだのが上総国《かずさのくに》夷隅郡《いすみごおり》総元村《そうもとむら》に現存している次男|晴之助《せいのすけ》さんである。
 喜多村|栲窓《こうそう》もまたこの年十一月九日に歿した。栲窓は抽斎の歿した頃奥医師を罷めて大塚村《おおつかむら》に住んでいたが、明治七年十二月に卒中し、右半身《ゆうはんしん》不随になり、此《ここ》に※[#「二点しんにょう+台」、第3水準1−92−53]《いた》って終った。享年七十三である。
 抽斎歿後の第十九年は明治十年である。保は浜松|表早馬町《おもてはやうまちょう》四十番地に一戸を構え、後また幾《いくばく》ならずして元城内《もとじょうない》五十七番地に移った。浜松城は本《もと》井上《いのうえ》河内守《かわちのかみ》正直《まさなお》の城である。明治元年に徳川家が新《あらた》にこの地に封《ほう》ぜられたので、正直は翌年上総国|市原郡《いちはらごおり》鶴舞《つるまい》に徙《うつ》った。城内の家屋は皆井上家時代の重臣の第宅《ていたく》で、大手の左右に列《つらな》っていた。保はその一つに母をおらせることが出来たのである。
 この年七月四日に保の奉職している
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