れは工事中であった寄宿舎が落成したためである。しかもこの命令には期限が附してあって、来六月六日に必ず舎内に徙《うつ》れということであった。
然《しか》るに保は入舎を欲せないので、「母病気に付《つき》当分の内《うち》通学|御《ご》許可|相成度《あいなりたく》」云々という願書を呈して、旧に依《よ》って本所から通っていた。母の病気というのは虚言《うそ》ではなかった。五百は当時眼病に罹《かか》って苦《くるし》んでいた。しかし保は単に五百の目疾《もくしつ》の故を以て入舎の期を延ばしたのではない。
保は師範学校の授くる所の学術が、自己の攻《おさ》めんと欲する所のものと相反しているのを見て、窃《ひそか》に退学を企てていた。それゆえ舎外生から舎内生に転じて、学校と自己との関係の一段の緊密を加うることを嫌うのであった。
学校は米人スコットというものを雇い来《きた》って、小学の教授法を生徒に伝えさせた。主として練習させるのは子母韻の発声である。発声の正しいものは上席におらせる。訛《なま》っているものは下席におらせる。それゆえ東京人、中国人などは材能《さいのう》がなくても重んぜられ、九州人、東北人など
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