を以て浦和県出仕を命ぜられ、典獄になった。時に年三十六であった。
その八十九
専六は兵士との交《まじわり》が漸《ようや》く深くなって、この年五月にはとうとう「於軍務局楽手稽古被仰付《ぐんむきょくにおいてがくしゅけいこおおせつけらる》」という沙汰書《さたしょ》を受けた。さて楽手の修行をしているうちに、十二月二十九日に山田源吾《やまだげんご》の養子になった。源吾は天保中津軽|信順《のぶゆき》がいまだ致仕せざる時、側用人を勤めていたが、旨《むね》に忤《さか》って永《なが》の暇《いとま》になった。しかし他家に仕えようという念もなく、商估《しょうこ》の業《わざ》をも好まぬので、家の菩提所《ぼだいしょ》なる本所|中《なか》の郷《ごう》の普賢寺《ふけんじ》の一房に※[#「にんべん+就」、第3水準1−14−40]居《しゅうきょ》し、日ごとに街《ちまた》に出《い》でて謡を歌って銭を乞《こ》うた。
この純然たる浪人生活が三十年ばかり続いたのに、源吾は刀剣、紋附《もんつき》の衣類、上下《かみしも》等を葛籠《つづら》一つに収めて持っていた。
承昭《つぐてる》はこの年源吾を召し還《かえ》して、二
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