優善はこの女をたよって往ったのである。
湊屋に皆《みな》という娘がいた。このみいちゃんは美しいので、茶屋の呼物《よびもの》になっていた。みいちゃんは津藤《つとう》に縁故があるとかいう河野《こうの》某を檀那《だんな》に取っていたが、河野は遂にみいちゃんを娶《めと》って、優善が東京に著いた時には、今戸橋《いまどばし》の畔《ほとり》に芸者屋を出していた。屋号は同じ湊屋である。
優善は吉原の湊屋の世話で、山谷堀《さんやぼり》の箱屋になり、主《おも》に今戸橋の湊屋で抱えている芸者らの供をした。
四カ月半ばかりの後、或人の世話で、優善は本所緑町の安田という骨董店《こっとうてん》に入贅《にゅうぜい》した。安田の家では主人|礼助《れいすけ》が死んで、未亡人《びぼうじん》政《まさ》が寡居していたのである。しかし優善の骨董商時代は箱屋時代より短かった。それは政が優善の妻になって間もなくみまかったからである。
この頃|前《さき》に浦和県の官吏となった塩田|良三《りょうさん》が、権大属《ごんだいさかん》に陞《のぼ》って聴訟係《ていしょうがかり》をしていたが、優善を県令に薦《すす》めた。優善は八月十八日
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