条書《かじょうがき》にしてもらうことを頼んだ。保さんは快諾して、同時にこれまで『独立評論』に追憶談を載せているから、それを見せようと約した。
保さんと会見してから間もなく、わたくしは大礼《たいれい》に参列するために京都へ立った。勤勉家の保さんは、まだわたくしが京都にいるうちに、書きものの出来たことを報じた。わたくしは京都から帰って、直《すぐ》に保さんを牛込に訪ねて、書きものを受け取り、また『独立評論』をも借りた。ここにわたくしの説く所は主として保さんから獲《え》た材料に拠るのである。
その十
渋江氏の祖先は下野《しもつけ》の大田原《おおたわら》家の臣であった。抽斎六世の祖を小左衛門《こざえもん》辰勝《しんしょう》という。大田原|政継《せいけい》、政増《せいそう》の二代に仕えて、正徳《しょうとく》元年七月二日に歿した。辰勝の嫡子|重光《ちょうこう》は家を継いで、大田原政増、清勝《せいしょう》に仕え、二男|勝重《しょうちょう》は去って肥前《ひぜん》の大村《おおむら》家に仕え、三男|辰盛《しんせい》は奥州《おうしゅう》の津軽家に仕え、四男|勝郷《しょうきょう》は兵学者となった。
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