のは、安積艮斎《あさかごんさい》にその著述の写本を借りて読んだ時、翻然として悟ったからだそうである。想《おも》うにその著述というのは『洋外紀略《ようがいきりゃく》』などであっただろう。保さんは後に蘭語を学ばずに英語を学ぶことになったが、それは時代の変遷のためである。
わたくしは保さんに、抽斎の事を探り始めた因縁を話した。そして意外にも、僅《わずか》に二歳であった保さんが、父に「武鑑」を貰《もら》って翫《もてあそ》んだということを聞いた。それは出雲寺板《いずもじばん》の「大名《だいみょう》武鑑」で、鹵簿《ろぼ》の道具類に彩色を施したものであったそうである。それのみではない。保さんは父が大きい本箱に「江戸鑑《えどかがみ》」と貼札《はりふだ》をして、その中に一ぱい古い「武鑑」を収めていたことを記憶している。このコルレクションは保さんの五、六歳の時まで散佚《さんいつ》せずにいたそうである。「江戸鑑」の箱があったなら、江戸図の箱もあっただろう。わたくしはここに『江戸鑑図目録《えどかんずもくろく》』の作られた縁起《えんぎ》を知ることを得たのである。
わたくしは保さんに、父の事に関する記憶を、箇
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