理屋と妓楼《ぎろう》とを捜索させた。しかし優善のありかはどうしても知れなかった。
その八十七
比良野|貞固《さだかた》は江戸を引き上げる定府《じょぅふ》の最後の一組三十戸ばかりの家族と共に、前年五、六月の交《こう》安済丸《あんさいまる》という新造|帆船《ほぶね》に乗った。然《しか》るに安済丸は海に泛《うか》んで間もなく、柁機《だき》を損じて進退の自由を失った。乗組員は某地より上陸して、許多《あまた》の辛苦を甞《な》め、この年五月にようよう東京に帰った。
さて更に米艦スルタン号に乗って、この度は無事に青森に著《ちゃく》した。佐藤弥六《さとうやろく》さんは当時の同乗者の一人《いちにん》だそうである。
弘前にある渋江氏は、貞固が東京を発したことを聞いていたのに、いつまでも到著《とうちゃく》せぬので、どうした事かと案じていた。殊に比良野助太郎と書した荷札が青森の港に流れ寄ったという流言などがあって、いよいよ心を悩まする媒《なかだち》となった。そのうちこの年十二月十日頃に青森から発した貞固の手書《しゅしょ》が来た。その中《うち》には安済丸の故障のために一たび去った東京に引き返し、
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