ぬことは、固《もと》より予期すべきであった。しかし啻《ただ》に愛情が生ぜざるのみではなく、二人は忽《たちま》ち讐敵《しゅうてき》となった。そしてその争うには、鉄がいつも攻勢を取り、物質上の利害問題を提《ひっさ》げて夫に当るのであった。「あなたがいくじがないばかりに、あの周禎のような男に矢島の家を取られたのです。」この句が幾度《いくたび》となく反復せられる鉄が論難の主眼であった。優善がこれに答えると、鉄は冷笑する、舌打をする。
この争《あらそい》は週を累《かさ》ね月を累ねて歇《や》まなかった。五百らは百方調停を試みたが何の功をも奏せなかった。
五百はやむことをえぬので、周禎に交渉して再び鉄を引き取ってもらおうとした。しかし周禎は容易に応ぜなかった。渋江氏と周禎が方《かた》との間に、幾度となく交換せられた要求と拒絶とは、押問答《おしもんどう》の姿になった。
この往反《おうへん》の最中に忽ち優善が失踪《しっそう》した。十二月二十八日に土手町の家を出て、それきり帰って来ぬのである。渋江氏では、優善が悶《もん》を排せんがために酒色の境に遁《のが》れたのだろうと思って、手分《てわけ》をして料
前へ
次へ
全446ページ中328ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング