再び米艦に乗って来たことを言って、さて金を持って迎えに来てくれといってあった。一年余の間無益な往反をして、貞固の盤纏《はんてん》は僅《わずか》に一分銀《いちぶぎん》一つを剰《あま》していたのである。
 弘前に来てから現金の給与を受けたことのない渋江氏では、この書を得て途方に暮れたが、船廻《ふなまわ》しにした荷の中《うち》に、刀剣のあったのを三十五|振《ふり》質に入れて、金二十五両を借り、それを持って往って貞固を弘前へ案内した。
 貞固の養子房之助はこの年に手廻《てまわり》を命ぜられたが、藩制が改まったので、久しくこの職におることが出来なかった。
 抽斎歿後の第十二年は明治三年である。六月十八日に弘前藩士の秩禄《ちつろく》は大削減を加えられ、更に医者の降等《こうとう》が令せられた。禄高《ろくだか》は十五俵より十九俵までを十五俵に、二十俵より二十九俵までを二十俵に、三十俵より四十九俵までを三十俵に、五十俵より六十九俵までを四十俵に、七十俵より九十九俵までを六十俵に、百俵より二百四十九俵までを八十俵に、二百五十俵より四百九十九俵までを百俵に、五百俵より七百九十九俵までを百五十俵に、八百俵以上
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