る。
 専六は兵士の間に交《まじわり》を求めた。兵士らは呼ぶに医者銃隊の名を以てして、頗《すこぶ》るこれを愛好した。
 時に弘前に徙《うつ》った定府《じょうふ》中に、山澄吉蔵《やまずみきちぞう》というものがあった。名を直清《なおきよ》といって、津軽藩が文久三年に江戸に遣《や》った海軍修行生徒七人の中《うち》で、中小姓を勤めていた。築地《つきじ》海軍操練所で算数の学を修め、次で塾の教員の列に加わった。弘前に徙って間もなく、山澄は熕隊《こうたい》司令官にせられた。兵士中|身《み》を立てんと欲するものは、多くこの山澄を師として洋算《ようざん》を学んだ。専六もまた藤田|潜《ひそむ》、柏原櫟蔵《かしわばられきぞう》らと共に山澄の門に入《い》って、洋算簿記を学ぶこととなり、いつとなく元秀の講筵《こうえん》には臨まなくなった。後《のち》山澄は海軍大尉を以て終り、柏原は海軍少将を以て終った。藤田さんは今|攻玉《こうぎょく》社長《しゃちょう》をしている。攻玉社は後に近藤真琴《こんどうまこと》の塾に命ぜられた名である。初め麹町《こうじまち》八丁目の鳥羽《とば》藩主稲垣対馬守|長和《ながかず》の邸内にあった
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