た。これは他山がいまだ仕途に就《つ》かなかった時、元秀がその貧を知って、※[#「米+胥」、第4水準2−83−94]《しょ》を受けずして懇《ねんごろ》に治療した時からの交《まじわり》である。他山の子|外崎《とのさき》さんも元秀を識《し》っていたが、これを評して温潤良玉の如き人であったといっている。五百が専六をして元秀に従学せしめたのは、実にその人を獲たものというべきである。
 元秀の養子|完造《かんぞう》は本《もと》山崎氏で、蘭法医伊東玄朴の門人である。完造の養子|芳甫《ほうほ》さんは本《もと》鳴海《なるみ》氏で、今弘前の北川端町《きたかわばたちょう》に住んでいる。元秀の実家の裔《すえ》は弘前の徒町《かちまち》川端町の対馬|※[#「金+公」、243−12]蔵《しょうぞう》さんである。
 専六は元秀の如き良師を得たが、憾《うら》むらくは心、医となることを欲せなかった。弘前の人は毎《つね》に、円頂《えんちょう》の専六が筒袖《つつそで》の衣《い》を著《き》、短袴《たんこ》を穿《は》き、赤毛布《あかもうふ》を纏《まと》って銃を負い、山野を跋渉《ばっしょう》するのを見た。これは当時の兵士の服装であ
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