な》を常吉《つねきち》といった。十六、七歳の時、父幾次郎が急に病を発した。常吉は半夜|馳《は》せて医師某の許《もと》に往った。某は家にいたのに、来《きた》り診することを肯《がえん》ぜなかった。常吉はこの時父のために憂え、某のために惜《おし》んで、心にこれを牢記《ろうき》していた。後に医となってから、人の病あるを聞くごとに、家の貧富を問わず、地の遠近を論ぜず、食《くら》うときには箸《はし》を投じ、臥《ふ》したるときには被《ひ》を蹴《け》て起《た》ち、径《ただ》ちに往《ゆ》いて診したのは、少時の苦《にが》き経験を忘れなかったためだそうである。元秀は二十六歳にして同藩の小野|秀徳《しゅうとく》の養子となり、その長女そのに配せられた。
 元秀は忠誠にして廉潔であった。近習医に任ぜられてからは、詰所《つめしょ》に出入《いでいり》するに、朝《あした》には人に先んじて往《ゆ》き、夕《ゆうべ》には人に後れて反《かえ》った。そして公退後には士庶の病人に接して、絶《たえ》て倦《う》む色がなかった。
 稽古館教授にして、五十石町《ごじっこくまち》に私塾を開いていた工藤他山《くどうたざん》は、元秀と親善であっ
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