がわ》より利根川《とねがわ》に出《い》で、流山《ながれやま》、柴又《しばまた》等を経て小山《おやま》に著《つ》いた。江戸を距《さ》ること僅《わずか》に二十一里の路に五日を費《ついや》した。近衛家《このえけ》に縁故のある津軽家は、西館孤清《にしだてこせい》の斡旋《あっせん》に依って、既に官軍に加わっていたので、路の行手《ゆくて》の東北地方は、秋田の一藩を除く外、悉《ことごと》く敵地である。一行の渋江、矢川《やがわ》、浅越《あさごえ》の三氏の中では、渋江氏は人数《にんず》も多く、老人があり少年少女がある。そこで最も身軽な矢川文一郎と、乳飲子《ちのみご》を抱いた妻という累《わずらい》を有するに過ぎぬ浅越玄隆とをば先に立たせて、渋江一家が跡に残った。
 五百らの乗った五|挺《ちょう》の駕籠《かご》を矢島|優善《やすよし》が宰領して、若党二人を連れて、石橋《いしばし》駅に掛かると、仙台藩の哨兵線《しょうへいせん》に出合った。銃を擬した兵卒が左右二十人ずつ轎《かご》を挟《さしはさ》んで、一つ一つ戸を開けさせて誰何《すいか》する。女の轎は仔細《しさい》なく通過させたが、成善の轎に至って、審問に時を費
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