倅《せがれ》豊吉《とよきち》をもうけた。享和三年|生《うまれ》の久次郎は当時三十三歳であった。後《のち》九年にして五百が抽斎に嫁したので、久次郎は渋江氏にも出入《でいり》することになって、次第に親しくなっていた。
渋江氏が弘前に徙《うつ》る時、久次郎は切に供をして往《ゆ》くことを願った。三十四歳になった豊吉に、母の世話をさせることにして置いて、自分は単身渋江氏の供に立とうとしたのである。この望を起すには、弘前で料理店を出そうという企業心も少し手伝っていたらしいが、六十六歳の翁《おきな》が二百里足らずの遠路を供に立って行こうとしたのは、主《おも》に五百を尊崇《そんそう》する念から出たのである。渋江氏では故《ゆえ》なく久次郎の願《ねがい》を却《しりぞ》けることが出来ぬので、藩の当事者に伺ったが、当事者はこれを許すことを好まなかった。五百は用人|河野六郎《こうのろくろう》の内意を承《う》けて、久次郎の随行を謝絶した。久次郎はひどく落胆したが、翌年病に罹《かか》って死んだ。
渋江氏の一行は本所二つ目橋の畔《ほとり》から高瀬舟《たかせぶね》に乗って、竪川《たてかわ》を漕《こ》がせ、中川《なか
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