》していたが、久次郎は六十六歳の翁《おきな》になって生存《ながら》えていたのである。

   その八十一

 飾屋長八は単に渋江氏の出入《でいり》だというのみではなかった。天保十年に抽斎が弘前から帰った時、長八は病んで治療を請うた。その時抽斎は長八が病のために業を罷《や》めて、妻と三人の子とを養うことの出来ぬのを見て、長屋に住《すま》わせて衣食を給した。それゆえ長八は病が癒《い》えて業に就《つ》いた後《のち》、長く渋江氏の恩を忘れなかった。安政五年に抽斎の歿した時、長八は葬式の世話をして家に帰り、例に依《よ》って晩酌の一合を傾けた。そして「あの檀那《だんな》様がお亡くなりなすって見れば、己《おれ》もお供をしても好《い》いな」といった。それから二階に上がって寝たが、翌朝起きて来ぬので女房が往って見ると、長八は死んでいたそうである。
 鮓屋久次郎は本《もと》ぼて振《ふり》の肴屋《さかなや》であったのを、五百《いお》の兄栄次郎が贔屓《ひいき》にして資本を与えて料理店を出させた。幸に鮓久《すしきゅう》の庖丁《ほうちょう》は評判が好《よ》かったので、十ばかり年の少《わか》い妻を迎えて、天保六年に
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