くにがって》の議が、この時に及んで纔《わずか》に行われたのである。しかし渋江氏とその親戚とは先ず江戸を発する群《むれ》には入《い》らなかった。
 抽斎歿後の第九年は慶応三年である。矢島|優善《やすよし》は本所緑町の家を引き払って、武蔵国|北足立郡《きたあだちごおり》川口《かわぐち》に移り住んだ。知人《しるひと》があって、この土地で医業を営むのが有望だと勧めたからである。しかし優善が川口にいて医を業としたのは、僅《わずか》の間《あいだ》である。「どうも独身で田舎にいて見ると、土臭い女がたかって来て、うるさくてならない」といって、亀沢町の渋江の家に帰って同居した。当時優善は三十三歳であった。
 比良野貞固の家では、この年|後妻《こうさい》照が柳《りゅう》という女《むすめ》を生んだ。
 第十年は明治元年である。伏見《ふしみ》、鳥羽《とば》の戦《たたかい》を以て始まり、東北地方に押し詰められた佐幕の余力《よりょく》が、春より秋に至る間に漸《ようや》く衰滅に帰した年である。最後の将軍徳川|慶喜《よしのぶ》が上野寛永寺に入《い》った後《のち》に、江戸を引き上げた弘前藩の定府《じょうふ》の幾組かがあ
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