度わたくしに代って保さんをおとずれてくれたので、杏奴の病が癒えて、わたくしが船河原町《ふながわらちょう》へ往《ゆ》くに先だって、とうとう保さんが官衙に来てくれて、わたくしは抽斎の嗣子と相見ることを得た。
その九
気候は寒くても、まだ炉を焚《た》く季節に入《い》らぬので、火の気《け》のない官衙の一室で、卓を隔てて保さんとわたくしとは対坐した。そして抽斎の事を語って倦《う》むことを知らなかった。
今残っている勝久さんと保さんとの姉弟《あねおとうと》、それから終吉さんの父|脩《おさむ》、この三人の子は一つ腹で、抽斎の四人目の妻、山内《やまのうち》氏|五百《いお》の生んだのである。勝久さんは名を陸《くが》という。抽斎が四十三、五百が三十二になった弘化《こうか》四年に生れて、大正五年に七十歳になる。抽斎は嘉永四年に本所《ほんじょ》へ移ったのだから、勝久さんはまだ神田で生れたのである。
終吉さんの父脩は安改元年に本所で生れた。中《なか》三年置いて四年に、保さんは生れた。抽斎が五十三、五百が四十二の時の事で、勝久さんはもう十一、脩も四歳になっていたのである。
抽斎は安政五年に五十四
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