に貧を説いている。その貧がどんな程度のものであったかということは、ほぼ以上の事実から推測することが出来る。この詩を瞥見《べっけん》すれば、抽斎はその貧に安んじて、自家《じか》の材能《さいのう》を父祖伝来の医業の上に施していたかとも思われよう。しかし私は抽斎の不平が二十八字の底に隠されてあるのを見ずにはいられない。試みに看《み》るが好《よ》い。一瞬の如くに過ぎ去った四十年足らずの月日を顧みた第一の句は、第二の薄才|伸《のぶ》を以《もっ》て妥《おだやか》に承《う》けられるはずがない。伸《のぶ》るというのは反語でなくてはならない。老驥《ろうき》櫪《れき》に伏《ふく》すれども、志千里にありという意がこの中《うち》に蔵せられている。第三もまた同じ事である。作者は天命に任せるとはいっているが、意を栄達に絶っているのではなさそうである。さて第四に至って、作者はその貧を患《うれ》えずに、安楽を得ているといっている。これも反語であろうか。いや。そうではない。久しく修養を積んで、内に恃《たの》む所のある作者は、身を困苦の中《うち》に屈していて、志はいまだ伸びないでもそこに安楽を得ていたのであろう。

  
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