」の徒目附《かちめつけ》の部に載せられている。住所は初め湯島《ゆしま》天沢寺前《てんたくじまえ》としてあって、後には湯島天神裏門前としてある。保さんの記憶している家は麟祥院前《りんしょういんまえ》の猿飴《さるあめ》の横町であったそうである。孫三郎は維新後静岡県の官吏になって、良政《よしまさ》と称し、後また東京に入《い》って、下谷《したや》車坂町《くるまざかちょう》で終ったそうである。
比良野|貞固《さだかた》は妻かなが歿した後《のち》、稲葉氏から来た養子|房之助《ふさのすけ》と二人で、鰥暮《やもめぐら》しをしていたが、無妻で留守居を勤めることは出来ぬと説くものが多いので、貞固の心がやや動いた。この年の頃になって、媒人《なこうど》が表坊主《おもてぼうず》大須《おおす》というものの女《むすめ》照《てる》を娶《めと》れと勧めた。「武鑑」を検するに、慶応二年に勤めていたこの氏の表坊主父子がある。父は玄喜《げんき》、子は玄悦《げんえつ》で、麹町《こうじまち》三軒家《さんげんや》の同じ家に住んでいた。照は玄喜の女《むすめ》で、玄悦の妹ではあるまいか。
貞固は津軽家の留守居役所で使っている下役《
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