《おとな》しくなって、殆どはにかむように見えた。
 この年の九月に柏軒はあずかっていた抽斎の蔵書を還《かえ》した。それは九月の九日に将軍|家茂《いえもち》が明年二月を以て上洛《じょうらく》するという令を発して、柏軒はこれに随行する準備をしたからである。渋江氏は比良野|貞固《さだかた》に諮《はか》って、伊沢氏から還された書籍の主なものを津軽家の倉庫にあずけた。そして毎年二度ずつ虫干《むしぼし》をすることに定めた。当時作った目録によれば、その部数は三千五百余に過ぎなかった。
 書籍が伊沢氏から還されて、まだ津軽家にあずけられぬほどの事であった。森|枳園《きえん》が来て『論語』と『史記』とを借りて帰った。『論語』は乎古止点《おことてん》を施した古写本で、松永久秀《まつながひさひで》の印記があった。『史記』は朝鮮|板《ばん》であった。後《のち》明治二十三年に保さんは島田篁村《しまだこうそん》を訪《と》うて、再びこの『論語』を見た。篁村はこれを細川十洲《ほそかわじっしゅう》さんに借りて閲《けみ》していたのである。
 津軽家ではこの年十月十四日に、信順《のぶゆき》が浜町中屋敷において、六十三歳で卒
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