話をしたことは、前に書いた。成斎は話をするに、多く伊沢柏軒の子鉄三郎を相手にして、鉄坊々々と呼んだが、それが意あってか、どうか知らぬが、鉄砲々々と聞えた。弟子らもまた鉄三郎を鉄砲さんと呼んだ。
 成斎が鉄砲さんを揶揄《からか》えば、鉄砲さんも必ずしも師を敬ってばかりはいない。往々|戯言《けげん》を吐いて尊厳を冒すことがある。成斎は「おのれ鉄砲|奴《め》」と叫びつつ、鞭を揮《ふる》って打とうとする。鉄砲は笑って逃《にげ》る。成斎は追い附いて、鞭で頭を打つ。「ああ、痛い、先生ひどいじゃありませんか」と、鉄砲はつぶやく。弟子らは面白がって笑った。こういう事は殆《ほとん》ど毎日あった。
 然るにこの年の三月になって、鉄砲さんの父柏軒が奥医師になった。翌日から成斎ははっきりと伊沢の子に対する待遇を改めた。例之《たとえ》ば筆法を正すにも「徳安《とくあん》さん、その点はこうお打《うち》なさいまし」という。鉄三郎はよほど前に小字《おさなな》を棄《す》てて徳安と称していたのである。この新《あらた》な待遇は、不思議にも、これを受ける伊沢の嫡男をして忽《たちま》ち態度を改めしめた。鉄三郎の徳安は甚だしく大人
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