した。保さんの成善《しげよし》は枕辺《まくらべ》に侍していた。
この年十二月二十一日の夜《よ》、塙次郎《はなわじろう》が三番町《さんばんちょう》で刺客《せきかく》の刃《やいば》に命を隕《おと》した。抽斎は常にこの人と岡本|况斎《きょうさい》とに、国典の事を詢《と》うことにしていたそうである。次郎は温古堂《おんこどう》と号した。保己一《ほきいち》の男《だん》、四谷《よつや》寺町《てらまち》に住む忠雄《ただお》さんの祖父である。当時の流言に、次郎が安藤対馬守|信睦《のぶゆき》のために廃立の先例を取り調べたという事が伝えられたのが、この横禍《おうか》の因をなしたのである。遺骸の傍《かたわら》に、大逆《たいぎゃく》のために天罰を加うという捨札《すてふだ》があった。次郎は文化十一年|生《うまれ》で、殺された時が四十九歳、抽斎より少《わか》きこと九年であった。
この年六月中旬から八月下旬まで麻疹《ましん》が流行して、渋江氏の亀沢町の家へ、御柳《ぎょりゅう》の葉と貝多羅葉《ばいたらよう》とを貰《もら》いに来る人が踵《くびす》を接した。二樹《にじゅ》の葉が当時民間薬として用いられていたからである。
前へ
次へ
全446ページ中294ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング