ら二十七年三月二十九日まで職を学習院に奉じて、生徒に筆札を授けていたが、明治二十八年一月に歿した。
 成善がこの頃母五百と倶《とも》に浅草|永住町《ながすみちょう》の覚音寺《かくおんじ》に詣《もう》でたことがある。覚音寺は五百の里方山内氏の菩提所《ぼだいしょ》である。帰途|二人《ふたり》は蔵前通《くらまえどおり》を歩いて桃太郎団子の店の前に来ると、五百の相識の女に邂逅《かいこう》した。これは五百と同じく藤堂家に仕えて、中老になっていた人である。五百は久しく消息の絶えていたこの女と話がしたいといって、ほど近い横町《よこちょう》にある料理屋|誰袖《たがそで》に案内した。成善も跡に附いて往った。誰袖は当時|川長《かわちょう》、青柳《あおやぎ》、大七《だいしち》などと並称せられた家である。
 三人の通った座敷の隣に大一座《おおいちざ》の客があるらしかった。しかし声高《こえたか》く語り合うこともなく、矧《まし》てや絃歌《げんか》の響などは起らなかった。暫《しばら》くあってその座敷が遽《にわか》に騒がしく、多人数《たにんず》の足音がして、跡はまたひっそりとした。
 給仕《きゅうじ》に来た女中に五百
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