を例としていた。阿部家では抽斎の歿するに先だつこと一年、安政四年六月十七日に老中《ろうじゅう》の職におった伊勢守正弘が世を去って、越えて八月に伊予守|正教《まさのり》が家督相続をした。成善が従学してからは、成斎は始終正教に侍していたのである。後に至って成善は朝の課業の喧擾《けんじょう》を避け、午後に訪《と》うて単独に教《おしえ》を受けた。そこで成斎の観劇談を聴くことしばしばであった。成斎は卒中《そっちゅう》で死んだ。正弘の老中たりし時、成斎は用人格《ようにんかく》に擢《ぬきん》でられ、公用人|服部《はっとり》九十郎と名を斉《ひとし》うしていたが、二人《ににん》皆同病によって命を隕《おと》した。成斎には二子三女があって、長男|生輒《せいしょう》は早世し、次男|信之《のぶゆき》が家を継いだ。通称は俊治《しゅんじ》である。俊治の子は鎰之助《いつのすけ》、鎰之助の養嗣子は、今本郷区|駒込《こまごめ》動坂町《どうざかちょう》にいる昌吉《しょうきち》さんである。高足《こうそく》の一人|小此木辰太郎《おこのぎたつたろう》は、明治九年に工務省|雇《やとい》になり、十人年内閣属に転じ、十九年十二月一日か
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