こ》で、遊蕩《ゆうとう》のために親に勘当せられ、江戸に来て渋江氏へ若党に住み込んだ。手跡がなかなか好《い》いので、豊芥子の筆耕に傭《やと》われることになっていた。それゆえ鎌倉屋への使に立ったのである。
森|枳園《きえん》が小野富穀《おのふこく》と口論をしたという話があって、その年月を詳《つまびらか》にせぬが、わたくしは多分この年の頃であろうと思う。場所は山城河岸《やましろがし》の津藤《つとう》の家であった。例の如く文人、画師《えし》、力士、俳優、幇間《ほうかん》、芸妓《げいぎ》等の大一座で、酒|酣《たけなわ》なる比《ころ》になった。その中に枳園、富穀、矢島|優善《やすよし》、伊沢|徳安《とくあん》などが居合せた。初め枳園と富穀とは何事をか論じていたが、万事を茶にして世を渡る枳園が、どうしたわけか大いに怒《いか》って、七代目|賽《もどき》のたんかを切り、胖大漢《はんだいかん》の富穀をして色を失って席を遁《のが》れしめたそうである。富穀もまた滑稽《こっけい》趣味においては枳園に劣らぬ人物で、臍《へそ》で烟草《タバコ》を喫《の》むという隠芸《かくしげい》を有していた。枳園とこの人とがかくま
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