で激烈に衝突しようとは、誰《たれ》も思い掛《か》けぬので、優善、徳安の二人は永くこの喧嘩《けんか》を忘れずにいた。想うに貨殖《かしょく》に長じた富穀と、人の物と我物との別に重きを置かぬ、無頓着《むとんじゃく》な枳園とは、その性格に相容《あいい》れざる所があったであろう。津藤《つとう》即ち摂津国屋《つのくにや》藤次郎《とうじろう》は、名は鱗《りん》、字は冷和《れいわ》、香以《こうい》、鯉角《りかく》、梅阿弥《ばいあみ》等と号した。その豪遊を肆《ほしいまま》にして家産を蕩尽《とうじん》したのは、世の知る所である。文政五年|生《うまれ》で、当時四十歳である。
 この年の抽斎が忌日《きにち》の頃であった。小島成斎は五百に勧めて、なお存している蔵書の大半を、中橋埋地《なかばしうめち》の柏軒が家にあずけた。柏軒は翌年お玉が池に第宅《ていたく》を移す時も、家財と共にこれを新居に搬《はこ》び入れて、一年間位|鄭重《ていちょう》に保護《ほうご》していた。

   その七十三

 抽斎歿後の第四年は文久二年である。抽斎は世にある日、藩主に活版|薄葉刷《うすようずり》の『医方類聚《いほうるいじゅ》』を献ずる
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