を蔵する家に遇《あ》えば、必ず借留《しゃくりゅう》し、読み尽して乃《すなわ》ち去るとあるのに出たということが、枳園の書後に見えておる。
墓誌に三子ありとして、恒善、優善、成善の名が挙げてあり、また「一女|平野氏《ひらのうじ》出《しゅつ》」としてある。恒善はつねよし、優善はやすよし、成善はしげよしで、成善が保さんの事だそうである。また平野|氏《うじ》の生んだ女《むすめ》というのは、比良野文蔵《ひらのぶんぞう》の女《むすめ》威能《いの》が、抽斎の二人《ににん》目の妻《さい》になって生んだ純《いと》である。勝久さんや終吉さんの亡父|脩《おさむ》はこの文に載せてないのである。
抽斎の碑の西に渋江氏の墓が四基ある。その一には「性如院宗是日体信士、庚申《こうしん》元文《げんぶん》五年閏七月十七日」と、向って右の傍《かたわら》に彫《え》ってある。抽斎の高祖父|輔之《ほし》である。中央に「得寿院量遠日妙信士、天保八酉年十月廿六日」と彫ってある。抽斎の父|允成《ただしげ》である。その間と左とに高祖父と父との配偶、夭折《ようせつ》した允成の女《むすめ》二人《ふたり》の法諡《ほうし》が彫ってある。「松峰
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