習させることに骨を折った。また専六の手本は平井東堂が書いたが、これも五百が臨書だけは手を把って書かせた。午餐後《ごさんご》日の暮れかかるまでは、五百は子供の背後《うしろ》に立って手習《てならい》の世話をしたのである。

   その六十六

 邸内に棲《すま》わせてある長尾の一家《いっけ》にも、折々多少の風波《ふうは》が起る。そうすると必ず五百《いお》が調停に往《ゆ》かなくてはならなかった。その争《あらそい》は五百が商業を再興させようとして勧めるのに、安《やす》が躊躇《ちゅうちょ》して決せないために起るのである。宗右衛門《そうえもん》の長女|敬《けい》はもう二十一歳になっていて、生得《しょうとく》やや勝気なので、母をして五百の言《こと》に従わしめようとする。母はこれを拒みはせぬが、さればとて実行の方へは、一歩も踏み出そうとはしない。ここに争は生ずるのであった。
 さてこれが鎮撫《ちんぶ》に当るものが五百でなくてはならぬのは、長尾の家でまだ宗右衛門が生きていた時からの習慣である。五百の言《こと》には宗右衛門が服していたので、その妻や子もこれに抗することをば敢《あえ》てせぬのである。
 宗右
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