、専六、翠暫《すいざん》、嗣子|成善《しげよし》と矢島氏を冒した優善《やすよし》とが遺っていた。十月|朔《さく》に才《わずか》に二歳で家督相続をした成善と、他の五人の子との世話をして、一家《いっか》の生計を立てて行かなくてはならぬのは、四十三歳の五百であった。
遺子六人の中で差当り問題になっていたのは、矢島優善の身の上である。優善は不行跡《ふぎょうせき》のために、二年|前《ぜん》に表医者から小普請医者に貶《へん》せられ、一年|前《ぜん》に表医者|介《すけ》に復し、父を喪う年の二月に纔《わずか》に故《もと》の表医者に復することが出来たのである。
しかし当時の優善の態度には、まだ真に改悛《かいしゅん》したものとは看做《みな》しにくい所があった。そこで五百《いお》は旦暮《たんぼ》周密にその挙動を監視しなくてはならなかった。
残る五人の子の中《うち》で、十二歳の陸、六歳の水木、五歳の専六はもう読書、習字を始めていた。陸や水木には、五百が自ら句読《くとう》を授け、手跡《しゅせき》は手を把《と》って書かせた。専六は近隣の杉四郎《すぎしろう》という学究の許《もと》へ通っていたが、これも五百が復
前へ
次へ
全446ページ中253ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング