てこれを飲ませた。五百はこれを旨《うま》がって、兄栄次郎と妹壻長尾宗右衛門とに侑《すす》め、また比良野|貞固《さだかた》に飲ませた。これらの人々は後に皆鰻酒を飲むことになった。
 飲食を除いて、抽斎の好む所は何かと問えば、読書といわなくてはならない。古刊本、古抄本を講窮することは抽斎終生の事業であるから、ここに算せない。医書中で『素問《そもん》』を愛して、身辺を離さなかったこともまた同じである。次は『説文《せつもん》』である。晩年には毎月《まいげつ》説文会を催して、小島成斎、森|枳園《きえん》、平井東堂、海保|竹逕《ちくけい》、喜多村栲窓《きたむらこうそう》、栗本|鋤雲《じょうん》等を集《つど》えた。竹逕は名を元起《げんき》、通称を弁之助《べんのすけ》といった。本《もと》稲村《いなむら》氏で漁村の門人となり、後に養われて子となったのである。文政七年の生《うまれ》で、抽斎の歿した時、三十五歳になっていた。栲窓は名を直寛《ちょくかん》、字《あざな》を士栗《しりつ》という。通称は安斎《あんさい》、後《のち》父の称|安政《あんせい》を襲《つ》いだ。香城《こうじょう》はその晩年の号である。経《け
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