。
間食は殆《ほとん》ど全く禁じていた。しかし稀《まれ》に飴《あめ》と上等の煎餅《せんべい》とを食べることがあった。
抽斎が少壮時代に毫《ごう》も酒を飲まなかったのに、天保八年に三十三歳で弘前に往ってから、防寒のために飲みはじめたことは、前にいったとおりである。さて一時は晩酌の量がやや多かった。その後《のち》安政元年に五十歳になってから、猪口《ちょく》に三つを踰《こ》えぬことにした。猪口は山内忠兵衛の贈った品で、宴に赴くにはそれを懐《ふところ》にして家を出た。
抽斎は決して冷酒《れいしゅ》を飲まなかった。然《しか》るに安政二年に地震に逢《あ》って、ふと冷酒を飲んだ。その後《ご》は偶《たまたま》飲むことがあったが、これも三杯の量を過さなかった。
その六十三
鰻を嗜《たし》んだ抽斎は、酒を飲むようになってから、しばしば鰻酒ということをした。茶碗に鰻の蒲焼《かばやき》を入れ、些《すこ》しのたれを注ぎ、熱酒《ねつしゅ》を湛《たた》えて蓋《ふた》を覆《おお》って置き、少選《しばらく》してから飲むのである。抽斎は五百《いお》を娶《めと》ってから、五百が少しの酒に堪えるので、勧め
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