た人で、常に摂生に心を用いた。飯は朝午《あさひる》各《おのおの》三椀《さんわん》、夕二椀半と極《き》めていた。しかもその椀の大きさとこれに飯を盛る量とが厳重に定めてあった。殊に晩年になっては、嘉永二年に津軽|信順《のぶゆき》が抽斎のこの習慣を聞き知って、長尾宗右衛門に命じて造らせて賜わった椀のみを用いた。その形は常の椀よりやや大きかった。そしてこれに飯を盛るに、婢《ひ》をして盛らしむるときは、過不及《かふきゅう》を免れぬといって、飯を小さい櫃《ひつ》に取り分けさせ、櫃から椀に盛ることを、五百の役目にしていた。朝の未醤汁《みそしる》も必ず二椀に限っていた。
 菜蔬《さいそ》は最も莱※[#「くさかんむり/服」、第4水準2−86−29]《だいこん》を好んだ。生で食うときは大根《だいこ》おろしにし、烹《に》て食うときはふろふきにした。大根おろしは汁を棄てず、醤油《しょうゆ》などを掛けなかった。
 浜名納豆《はまななっとう》は絶やさずに蓄えて置いて食べた。
 魚類《ぎょるい》では方頭魚《あまだい》の未醤漬《みそづけ》を嗜《たしな》んだ。畳鰯《たたみいわし》も喜んで食べた。鰻《うなぎ》は時々食べた
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