じて席を遁《のが》れたそうである。五百は幼くて武家奉公をしはじめた時から、匕首《ひしゅ》一口《いっこう》だけは身を放さずに持っていたので、湯殿《ゆどの》に脱ぎ棄てた衣類の傍《そば》から、それを取り上げることは出来たが、衣類を身に纏《まと》う遑《いとま》はなかったのである。
翌朝《よくちょう》五百は金を貴人の許《もと》に持って往った。手島の言《こと》によれば、これは献金としては受けられぬ、唯|借上《かりあげ》になるのであるから、十カ年賦で返済するということであった。しかし手島が渋江氏を訪《と》うて、お手元《てもと》不如意《ふにょい》のために、今年《こんねん》は返金せられぬということが数度あって、維新の年に至るまでに、還された金は些《すこし》ばかりであった。保さんが金を受け取りに往ったこともあるそうである。
この一条は保さんもこれを語ることを躊躇《ちゅうちょ》し、わたくしもこれを書くことを躊躇した。しかし抽斎の誠心《まごころ》をも、五百の勇気をも、かくまで明《あきらか》に見ることの出来る事実を湮滅《いんめつ》せしむるには忍びない。ましてや貴人は今は世に亡き御方《おんかた》である。あから
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